新板 窮理図解
数学オリンピックの予選で知り合った友人に誘われて、ともに勉学に励み、
数学者の道を目指すことになったという勝良さん。
その後、師事した恩師や異分野の共同研究者との出会い、国内外での数々の経験、
そして家族が、研究者としての勝良さんのいまを支えている。

どんな幼少期を過ごされたのですか?
 生まれは京都府向日(むこう)市で、いわゆるベッドタウンで育ちました。父がボードゲームやパズルが好きな人で、家にオセロやジグソーパズル、バックギャモン、ルービックキューブなどさまざまな遊び道具があって、幼い頃からよくそれらのゲームで遊んでいました。家族で過ごすときも、ボードゲームをよくやっていましたね。
 もっとも、小学生くらいの頃は、屋外で遊ぶのも好きで、中高時代はサッカー部にも所属していました。そのほかの遊びといえばもっぱら麻雀をやっていました(笑)。

やはり幼い頃から算数が得意だったのですか?
 算数は得意なほうでしたが、計算は決して得意ではありませんでした。今でも計算は苦手です。好きだったのは、知能テストに出てくるようなパズルや図形の問題です。
 中学受験のときに挫折を味わいました。洛星中学・高校入学を目指して勉強していたのですが、入試のときに算数で1問だけどうしても解けない問題があって、その問題に固執するあまり、ほかの問題を見直さなかったら、たくさん計算ミスをしていたのです。その前に東大寺学園に合格していて、受かったのが友達の中では私だけだったので、少し気が緩んでいたこともあるのでしょう。結局、友人たちは洛星へ、私だけが東大寺学園に行くことになりました。東大寺学園は自由な校風でのびのびと勉強ができたこともあり、結果としてはよかったのですが、以来、数学の問題を解く際には、別の方法を使ったりして、3〜4回答え合わせをするのが習慣になりました。中学受験での挫折がいい教訓になっています(笑)。

いつから数学を研究しようと思われるようになったのですか?
photo 純粋数学の面白さに触れたのは、高校2年の終わりに、数学オリンピックの日本代表候補20名に選ばれたのがきっかけです。選抜合宿に参加すると、自分よりも数学の知識に通じていて、すぐに本質を見抜いてしまうような非常に優秀な人たちがたくさんいて驚きました。それまで、自分より数学ができる学生に出会ったことがなかったので、たいへん刺激を受けました。 
 残念ながら代表の6名には選ばれなかったのですが、高校3年の夏に代表候補者などが集う合宿に参加することになり、そこで出会った同級生が私の人生を変えることになります。彼らから、一緒に東京大学へ進学して、数学を勉強しようと誘われたのです。そこで、地元に近い京都大学ではなく、東大への進学を決めました。東大理科1類に進学し、上京して1人暮らしを始めることになりました。
 入学してからは授業にはあまり出ないで、その友人たちとテキストを決めて、週に1度集まって輪講していました。その頃は、とにかく数学の知識を吸収することに必死で、かなりの時間を費やしていましたね。