新板 窮理図解

大学は東京工業大学第5類に進学されましたね。
 友人のお父さんの薦めと、予備校のチューターの意見を参考に選びました。この頃には、将来は情報系や数学系の知識を使った仕事をしたいと漠然と考えるようになっていました。
 ただ、低学年のうちはそれほど真剣に勉学に励んだわけではありませんでした。フーリエ変換やラプラス変換など、理論系の講義には興味を持って出ていましたが、まだ、何を勉強したらいいのか、あまりピンときていなかったのだと思います。そうしたことから、学部生の頃は、部活動とファストフード店でのアルバイトに精を出していました。ファストフード店でのバイトは、他大学の学生との交流の場であり、サークル活動のように楽しい時間を過ごしました。
 それから、大学に入ってから始めたのが、競技ダンスです。きっかけはテレビ番組の影響でしたが、マイナーなことというか、皆がやっていないことをやってみたいという思いがあったんですね。競技ダンス部には各学年で男性は4人程度しかいませんでしたから、相当にマイナーですよね(笑)。そういう意味では、珠算や卓球に通じるところがあるかもしれません。研究はどうかというと、信号処理は世界的にみてすごくメジャーな分野なんです。でもその中で私は他の人が目をつけていないところに焦点を当てて研究しています。
 競技ダンスではラテンが専門でしたが、結局、10年ほど続けました。実は留学先にイギリスを選んだのも、競技ダンスの影響という噂も(冗談)。もっとも、イギリスでは競技ダンスではなく、もう少し趣味的な社交ダンスに近い練習会に、毎週、顔を出していたのですが……。

意外ですね。女性と踊るのは照れませんでしたか?(笑)。
 最初こそ照れましたが、すぐに慣れました。実は、結婚してから妻を誘って一緒に社交ダンスをしていたことがあるのですが、結局、数回で妻が音をあげて、辞めてしまったのです。私が厳しく指導するので嫌になったと言って……(笑)。そんなに厳しくしたつもりはないのですが、つい競技ダンスの名残で、姿勢や重心の移動などを細かく注意していたようです。何事もやり始めると集中してしまうのは、いいところでもあり、悪いところでもありますね。
 研究の面白さにはまったのは大学4年になって、信号処理と通信理論の研究室に入ってからです。実は当初、コンピュータビジョンの研究室に入ろうとしていたのですが、その研究室が定員オーバーで、ジャンケンで決めるというので希望を変更したのです。今から思えば、理論系の研究室に進んで大正解でした。
 修士課程になると、国際会議で発表したりするようになり、ますます研究にのめり込むようになりました。そして、研究の世界で生きていきたいと強く思うようになり、博士課程に進学しました。途中からは日本学術振興会の特別研究員に採用され,給料や研究費をもらいながら研究できるようになりました。
photo 博士課程修了後は、念願だった基礎科学特別研究員として、理化学研究所への就職が決まっていましたが、幸い、半年早く修了できたことから、その間、イギリスのヨーク大学に留学しました。帰国後、2007年4月から理化学研究所に3年間ほど勤め、移動体通信や適応フィルタの研究に取り組みました。理研時代には、4カ月間ほどですが、ミュンヘン工科大学にも留学していたことがあります。
 その後、新潟大学(2010年4月〜2013年3月)での勤務を経て、慶應義塾大学に移ったというわけです。