新板 窮理図解

どんな大学生活を送られたのですか?
 高校までは部活中心の生活でしたが、大学に入ってからはガラリと意識が変わって、勉強中心の生活を送るようになりました。1年生の頃はテニスサークルに所属していましたが、課題のレポート作成で徹夜することも多く、片道2時間かけて埼玉の自宅から通っていたので大変で……。結局、1年生の途中で体を壊してしまい、サークル活動は諦めました。でも、友人に恵まれて、互いに切磋琢磨しながら勉学に励んでいたので、勉強自体は苦ではありませんでしたね。友人たちは皆、優秀で、私を含めて4人中3人が博士課程に進んだほど。もちろん、勉強だけでなく、一緒に遊んだり、成人してからは、週末ごとに飲んで過ごしたのは、今となってはいい思い出です。

なぜ、燃焼の研究に進まれたのですか?
 燃焼の研究をされている溝本雅彦先生の研究室を見学した際に、先輩たちから話をお聞きして、興味をもったのがきっかけです。研究室に入ってからは、燃焼の魅力にすっかり取りつかれて、研究にのめり込んでいきました。研究室には博士課程の先輩が5〜6名いらしたのですが、先輩方の研究に取り組む姿勢にも刺激を受けたんでしょうね。その頃には学校の近くに下宿をしていたので、昼夜を問わず研究に没頭していました。
 燃焼の研究というのは、実に奥が深いのです。たとえば、燃焼の事象をシミュレーションしようとすると、流体、熱、物質の拡散、化学反応といったさまざまな要素を同時に解く必要があり、対象によってはスーパーコンピューターを使っても1カ月以上かかります。基礎理論の構築にも、まだまだやるべきことがあるというのが、燃焼の基礎研究の面白さといえます。
じつは修士課程のときに、企業に就職して研究職に就くことも考えたのですが、しだいに基礎寄りの研究をしたいと思うようになり、博士課程に進むことにしました。進学の話を両親にした際は、経済的な理由もあって父は反対しましたが、奨学金を受けることができたので、最終的には賛成してくれました。
 その後、2003年9月から東北大学でポスドクとして働き始めたのですが、ここでの経験が大きな転機となりました。というのも、研究室のボスの丸田薫先生は国際色豊かな方で、研究室に海外の著名な研究者がしょっちゅう訪ねて来るのです。そこでグローバルなコミュニケーションの大切さを学び、一気に視野が広がりました。もっとも、それまでも海外の学会で発表するなど、外に目を向けているつもりでしたが、レベルがまるで違っていました。研究を進めるための本質的な議論を、グローバルに展開することの必要性を痛感したポスドク時代でした。
 そこで、海外留学を決意して、日本学術振興会のポスドクとして2005年4月から1年間、プリンストン大学へ留学することにしたのです。プリンストン大学といえば、物理や数学、経済の分野で有名なイメージがありますが、燃焼の分野でも非常に歴史のある研究機関なんですね。

photo海外での研究生活はいかがでしたか?
 大変でしたね。最初は住む所も決まっていなくて、2週間くらいは先生などのお宅を転々としながら住まい探しからスタートしました。当時は英語もたどたどしい状態でしたし、わずか2週間でホームシックにかかったほどです(笑)。研究は楽しかったけれど、海外での生活自体に慣れるまでにちょっと時間がかかりましたね。研究室の人たちは私に配慮してしゃべってくれるのでそれほど会話には困りませんでしたが、いったん街へ出ると、当然のことながら皆しゃべるスピードが速く、スラングまじりだったりで、なかなか聞き取れなかったりして……。銀行口座ひとつ作るのにも苦労した思い出があります。
 大学にも、日本人はほとんどいなくて、別の学科に1人いたくらいだったでしょうか。むしろ中国から来ている留学生を多く見かけましたね。実は私の指導教官もYiguang Ju教授という中国人の方です。この先生は、先ほどの東北大の丸田先生同様、海外に目を向けていると同時に、理路整然と考えて物事を進めることができるたいへん頭のいい方でした。性格もとてもよくて、研究者として憧れの存在です。