新板 窮理図解
信号処理技術をベースに画期的なシステムの開発に取り組む満倉さん。
ショートスリーパーで、研究も遊びも決して手を抜かない満倉さんのエネルギーの源は、
楽しいことを見つけて、とことん追求するという前向きな姿勢にあるようだ。

ご出身は奈良県ですが、その後、松江に移られて、理系の高校に進学されたんですね?
 はい。これまで転々として来ましたが、ようやく安住の地を見つけました。理系に進んだのは、父が理系で、母が医療系という家庭に育った影響でしょうか。家の本棚には絵本などはなく、数学や物理の本、医学書などが並んでいました。休日にそれらの本をずっと読んでいる勉強熱心な父の姿が心に焼き付いています。今でも記憶に残っているのは、ガラスでできたものを落として割ったとき。父が「なぜ割れるか」を、子どもの私相手に延々と語り、その話が面白かったので、興味から他のいろいろな物も壊して、母に叱られていました。その流れで高校も理系を選択し、大学では電気電子系を専攻しました。
 その後、さまざまな所に移動してきました。修士までは岡山県立大学で、博士を取ったのが徳島大学です。そして、東京大学大学院医学系研究科で学び、岡山大学、東京農工大学などを経て、2011年に慶應大学に移りました。

研究者になろうと思ったのはいつ頃ですか?
 大学4年生のときに、通信関連の国際学会に参加する機会があり、そこでベストペーパー賞とベストプレゼンテーション賞をダブル受賞したときです。
 このときの研究で、今考えれば大した問題ではないのですが、当時はたいへん大きな壁を感じていて、何日も徹夜をすることに。でも、受賞して苦しかったことがすべて吹っ飛び、大きな喜びに変わったことが心に残っています。そして、何か問題にぶつかったときに、それを解決するために必要な努力と根性は、ここで教えられました。
 その後、研究者としての転機となったのが、徳島大学時代の赤松則男先生との出会いです。外からうるさく聞こえてくる工事現場の騒音に対して、「この音と逆位相の音を作ってみたら騒音が消えますよね」と先生にお話したところ、当たり前のことなのですが、自分の研究を常に生活で意識していることを褒めてくださいました。そういった姿勢は研究者として成長できる、と太鼓判を押していただき、今に至っています。音や画像を周波数に変換し、定式化するということをやり続けるなかで、まわりの種々の現象と周波数が結びつくようになり、音を聴いたり、画像を見るだけで、自然と、そこにどんな周波数成分が含まれているのか見当がつくようになったのです。あるいは水面の波紋を見ただけで、どんな波が含まれているのか、それはどんな式で表わすことができるのかも、ピンとくるようになりました。もうほとんど職業病というか、今や、身の回りの現象はなんでも周波数や式で見えるようになってしまいました。
 ちなみに、うちの学生でも、研究を続けてしばらくすると、「あの人の髪の毛の巻き具合は、こんな式で表わせるよね?」なんて、冗談を言い合ったりしています。数学的なセンスというのは訓練により磨かれる部分が大きいのでしょうね。
 話が横道にそれてしまいましたが、赤松先生にアドバイスをいただいたことで、以来、脳波の研究に携わるようになりました。当時はもう、夢中で周波数のことばかり考えていましたね。博士課程では顔の画像の周波数解析の研究を行いましたが、これは、画像を定式化することで、個人を識別するというものです。個人の顔がそれぞれ個別の式で区別できるなんて面白いでしょう? 結局、1年半でドクター(博士号)を取得しました。
 ちなみに、赤松先生の関わった学生には、先輩として青色発光ダイオードの研究者として有名な中村修二さんがいらっしゃいます。そうした進取の気鋭に富んだ研究者たちに囲まれていたこともたいへん幸運だったと思います。私は本当に、先生にも周りの研究者にも友人にも恵まれているとつくづく思います。