慶應義塾大学理工学部 広報誌
  新版 窮理図解  
05 チッテリオ,  ダニエル 日本は研究しやすい環境が整っている

専門家でなくても誰もが手軽に扱える、紙のセンサーの開発を手がけるチッテリオさん。
スイス・チューリッヒ出身のチッテリオさんが、
縁あって日本で研究をするようになってから、今年で通算して8年になる。
研究者どうしのつながりが強く、予算的にも設備的にも研究環境に比較的恵まれている日本は、
研究者にとってとても魅力的な場所なのだという。

 

1 人生の幅を広げるために日本へ

写真いつ日本にいらしたのですか?
 スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)のドクターだった1996年に、共同研究プロジェクトに参加するため、東京大学の化学・バイオセンサーの研究室に所属したのが最初です。そのときは3カ月間だけの来日でした。ヨーロッパの大学では、通常、ドクターコースを終えると、1年ほど海外に留学してから就職します。たいていの学生はアメリカに行くのですが、私はアメリカには行きたくなかった。研究のためというよりも、自分の人生の幅を広げるために、文化も言葉もまったく違う場所で、新しいことにチャレンジしてみたいと思ったからです。そこで、ドクターのときに訪れた日本で、ポスドクとして研究をすることにしました。
 最初に訪れたときから、日本はとても面白い国だと感じました。一見、見た目は東京も他の都市と変わらないのですが、実際に人と話をしてみると、欧米とはまったく違う文化があると感じました。たとえば、研究室内で上司・部下、あるいは先輩・後輩の関係が絶対的なのには驚かされましたね。もちろん、食べ物も人々の暮らしぶりも、見るものすべてが新鮮で、驚きの連続でした。
 実は最初の留学のときに、1日だけ慶應義塾大学を訪れる機会があったのです。その折、現在、所属している鈴木孝治先生の研究室を訪ねて、自分の研究に近い分野の研究をしていることを知っただけでなく、慶應の学生はとてもオープンで、話がしやすく、よい印象をもちました。
 慶應義塾大学のポスドクとして再来日したのは、1998年3月です。当初は1年間の予定でしたが、ようやく日本での研究生活に慣れたところで帰国するのはもったいないし、研究室の雰囲気も居心地よく、先延ばしするうちに4年半ほど滞在することになりました。

日本語はそのとき習得されたのですか?
 ええ。最初はほとんどしゃべれなくて、日常の買い物にも困るほどでしたが、週1回の日本語家庭教師や学生とのコミュニケーションを通じて徐々に上達しました。とくに学生とのやりとりが一番効果的でしたね。でも、こちらに来て驚いたのは、日本の学生が思った以上に英語がしゃべれなかったこと。当初は、互いに英語と日本語で筆談しながら会話したものです。私は、いまだに漢字が苦手なんですけどね(笑)。
 その後、2002年の秋にいったんスイスに戻り、大学で助教授として働き始めました。同時に、慶應の研究室でいくつか特許を出したことがきっかけで特許に興味をもつようになったので、もう一度大学に入りなおして勉強し、弁理士の資格を取りました。昔は、研究者は研究に専念し、特許を取ることなど研究の邪魔だと考えられていましたが、今の時代は違います。自分たちが手がけた研究を社会で活かすためには、特許についての知識をもつことはとても大事だと思います。
 そうしたキャリアも携えて、その後、いったんスイスの化学メーカーに就職しました。でも、結局1年で辞めて、再び日本に戻りました。

 

 

1 人生の幅を広げるために日本へ
2 研究しやすい日本の環境
3 どうして研究者を目指したか
profile チッテリオ,  ダニエル 応用化学科 准教授 既存の物質を組み合わせたり、全く新しい材料(色素、高分子など)を開発することにより、 産業・医療・環境分析への応用を目指した化学センサーおよびバイオセンサーの開発に取り組んでいる。スイス、チューリッヒ生まれ。1992年スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)化学科卒業、1998年同大学大学院博士課程修了。慶應義塾大学ポスドク研究員を経て、ETHZ助手に就任。その間、知的財産管理の修士を取得。その後、スイスの化学メーカーにて弁理士。2006年慶應義塾大学に戻り、2009年より慶應義塾大学理工学部応用化学科准教授、現在に至る。
 
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