慶應義塾大学理工学部 広報誌
  新版 窮理図解  
03 三木則尚 2 MITの研究員になる

ゲスト写真博士課程修了後の2001年に、マサチューセッツ工科大学(MIT)へ就職されましたね。
 ドクターを修了したら、次は海外だという勝手な思い込みがあったのですが、当時興味があった「MITマイクロエンジンプロジェクト」の教授が僕の所属する研究室に来る機会がありました。その折に研究員の空きがあるかどうか尋ねてみたところ、書類を送るように言われ、その後面接に呼ばれ、晴れて「マイクロエンジンプロジェクト」に雇われることになったのです。正直いうと当時は、ボストンがどこにあるかも、そもそもMITがボストンにあることも知らなかったのですが……(笑)。行ってみて、街の美しさに驚きましたね。

お話によると順調に歩まれてきた感じですね。
 そもそも、挫折するようなことがあっても、気にしない性格なんだと思います。僕は、挫折したから強くなったなんて言うのは大嫌いです。挫けたって折れなければいいというのが僕の信念です。もちろん、海外に行けば言葉も自由に操れないし、勝手のわからないことだらけで苦労はありました。日本だとベラベラしゃべって盛り上げるタイプなのに、アメリカだと、無口でたまに面白いことをボソッと言うような違うキャラクターになってしまい、自己嫌悪にもなりました(笑)。
 でも、MIT時代は楽しかったですね。マイクロエンジンプロジェクトでは、携帯電話の電源やマイクロロケットのバッテリ用に、シリコンを使ったボタンサイズの小さなガスタービンを作っていました。設備も環境も最高に恵まれていました。もっとも、1ヵ月かけて作ったものが、実験で動かすと3秒で壊れてしまったり、いろいろ失敗もありました。
ゲスト写真 また、ボストンには、MITだけでなく、ハーバード大学、ボストン大学などもあり、さまざまな分野から選ばれた日本人が集まっていて、月に1~2回開催される日本人研究者交流会を通じて、多くの人と話をする機会を得ることができ、ぐっと視野が広がりました。とくにボストンに来て2年目以降、アメリカに住む日本人として日本を客観視できるようになり、日本の将来について皆で議論したり、いろいろと考えたりすることができたのは、僕の中でたいへん大きな変化でした。
 それから、2年目に日本人の研究者でアイスホッケーチームを作ったことも大きなイベントでした。アイスホッケーなんてやったこともなくて、そもそもスケートも全然滑れなかったのですが、かっこいいからやってみようと…。というのも、アメリカ人って、どんなに下手でも、努力していれば、必ず“Good job!”って言ってくれるんですよ。それが嬉しくて、どうせやるなら自分が中心になってチームを作ろうと思ったのです。名前は、日本人チームらしく「Sushis(スシーズ)」。ちなみに、うちのチームは見学不可なんですよ。1回見学してから入団を決めるというのはナシで、まずはとにかく一緒にやってみようというのがSushisのポリシーです。

 

 

1 大学ではロボットの 研究を手がける
2 MITの研究員になる
3 MEMSをベースに 自由な発想で研究に取り組む
profile 三木則尚 機械工学科 専任講師 MEMS(Microelectromechanical Systems:微小電気機械システム)技術をベースに、ICT、医療、環境分野へ幅広く研究を展開中。1974年兵庫県龍野市生まれ。2001年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。2001年から2004年までマサチューセッツ工科大学航空宇宙工学科ポスドク研究員、リサーチエンジニア。2004年より現職。高校時代はヘビーメタルに、大学時代は麻雀と釣りに、その後はゴルフにはまっている。
 
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