慶應義塾大学理工学部 広報誌
  新版 窮理図解  
01 牛場潤一 氏 リハビリを科学に、BMIを患者さんに

ブレイン・マシン・インタフェース(BMI)のリハビリへの応用を研究する牛場潤一さん。
熱くなれる対象としてコンピュータを見つけ、小学生の頃から打ち込んだ。
もうひとつ、中学時代にひかれたのが脳だった。
どちらも研究者としての牛場さんの縦糸となり、いまBMI研究に結ばれて、
患者さんに使ってもらえる日をめざす。

 

1 コンピューターへの興味と脳への興味

ゲスト写真 若手研究者として充実した毎日を送っておられますが、
そもそもどんなご家庭で育ったのですか?

 私の家庭は、父がフランス文学者で大学の教員、母はフランス語会話の講師や翻訳などをやっていました。まったく文系の家庭環境です。父は書斎にいることが多く、そんな父の後ろ姿を見ていて、「大学の先生っていいなあ」と思ったのが研究を仕事にすることにあこがれをもった最初かもしれませんね(笑)。そんな家庭で、「お前は好きなことをやればいい。責任を持って究めろ」と言われて育ちました。

コンピュータに興味を持って
触れるようになったのはどんな動機でしたか。

 小学5年生のときに学校でコンピュータ教室が開かれるようになりました。コンピュータが何台も設置されて、希望者に放課後プログラミングを教えてくれたんです。同級生に誘われて参加したのがコンピュータに触れた最初でした。どの家庭にもコンピュータがあるという時代ではありませんから、もっぱら学校でコンピュータを触っていたものです。
 夏休みには大学の先生が理工学部でコンピュータ教室を開いていたので、それにも参加するようになりました。プログラムを書いている大学院生を見て、「すごいなあ」と大いに刺激を受けました。以来、すっかりコンピュータにはまってしまったわけです。その頃の小学生が熱中する対象としては漫画やTVアニメもありましたが、私の家庭ではそうしたものを見せてもらえなかったので、いっそうコンピュータに向かったのかもしれません。
 当時、流行だったのは人工知能です。大学院生が自動会話システムのプログラムを作って小学校に持ってきたことがありました。“なぞなぞ”のようなもので、ヒントをひとつひとつ出してやると最後に正しい答えが返ってきます。間違ったときには正しい答えを教えると、ちゃんと学習して次回から正答を出すようになるシステムです。コンピュータはあらかじめ指示したとおりにしか動かないはずなのに、人工の知能が作れることを初めて知りました。びっくり仰天です。
 中学のとき、OBの御子柴克彦先生(現・理化学研究所)が来られて、脳の話をはじめて聞きました。熱い情熱をもって語られるその内容はたいへん魅力的でした。その後、自ら応募して脳科学者の松本 元先生(当時・電総研)の講演会に行ったんです。このお2人にはすごく刺激を受けて、今でもその印象は強烈です。
 毎年の学校の夏休みの自由研究発表会では、自分で作ったプログラムを公開していました。1人で作ったものです。中学1年では湾岸戦争後の都市復興のシミュレーション、2年のときには初期のハンドスキャナーを使ってモーフィングの研究を、3年では多角錐の影が光源の位置によってどう出るかを推定するレイトレースなどを作っていました。
 毎週土曜日には大学院生の下宿先に通ってアルゴリズムを教えてもらいました。個人指導です。コンピュータが本当に好きでした。

熱中の仕方はほとんど“コンピュータおたく”のようですが、
学校や家庭ではどんな少年だったのでしょう。

 学校ではそんなに目立つ存在ではなかったと思います。スポーツが得意でもないし、特に注目を集めるわけでもない。どんなタイプの同級生ともつき合っていましたが、好きなことは学校でも家庭でも1人でやっていました。わりにのんびりしていたんでしょうね。別に疎外感ももたずにやっていました。

周囲からの刺激が多くなる年頃ですが、自分の関心を貫くことはできたんでしょうか。
 高校はコンピュータが強いところに進みましたが、吹奏楽部に入ってトランペットを吹いたり、バンドを結成したりしていました。コンピュータのほうはWindowsが出てしくみが複雑になり、扱いにくくなったせいで、興味が少々薄れてしまったんです。
 一方で、脳には相変わらず強い関心を抱いていました。図書館や本屋でちょっと背伸びして難しい本を物色するのが好きでしたが、人工知能や人工生命というような言葉には強く反応するんですね。当時出版された人工生命の本を高校の隣にある大学の大学院生が翻訳していることを知って、「こんな近くにこんなすごい学生がいるんだ」と刺激されました。コンピュータは指示したことしかできないはずなのに、脳や生物がおこなっているような機能が創発されるわけですね。設計しない現象が生み出されていくのがなんとも不思議だったんです。どうしてそんなことができるのか、そのしくみを知りたいと思うようになりました。
 大学は医学部をめざすか理工学部に行くか迷いました。理工学部には生体情報を専門にしている先生もおられるし、僕はコンピュータ好きですから、結局、理工学部に行くことに決めたのです。慶應の理工学部にはちょうど物理情報工学科という新しい学科ができたので、そこに進みました。この学科は医学部とのつき合いも深く、神経や筋肉をテーマにしている先生がいたからです。
 理工学部に進んだものの、数学は苦手でした。中学の頃の成績はCをもらっていたものです。本当にやる気が出たのは大学3年頃からだと思います。基礎を基礎として学ぶのではなく、こんな応用があると出口を知るようになり、そのためにはこういう基礎を学ぶ必要があると納得して、勉強する動機がようやくつかめたんです。どういうふうに社会に役立つかが見えると、それに必要な基礎を勉強するというタイプだったんですね、僕は。
 富田 豊先生の研究室に入ったきっかけは、先生がリハビリの研究をしていて医学との接点があったことが大きかったと思います。入ってすぐに、共同研究をしたいからと、医学部の先生を紹介していただきました。

 

 

1 コンピューターへの興味と 脳への興味
2 大学の魅力にひかれ 母校の教員に
3 BMIを患者さんに 役立つものにしたい
Profile 牛場潤一
生命情報学科 専任講師 ヒトの随意運動や反射に関する運動制御機構に関する研究に従事。最近は、これまでの科学的知見を応用したブレイン・マシン・インタフェースの開発に取り組む。2003年、デンマーク,オルボー大学感覚運動統合センター客員研究員。2004年、博士(工学)を取得。慶應義塾大学 助手。2007年より慶應義塾大学理工学部 専任講師、現在に至る。
 
 
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